美術と近代社会史

red05_next.gifフランス/18世紀中期〜末

   王政崩壊・マリー・アントワネットの処刑と革命の嵐、 ロココとヴァトー、ブーシェ、フラゴナール

  

  

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美術と社会史 近代フランス目次

美術家DATA 目次

美術家の言葉 目次

ism(美術運動)の証言 目次

絵画の制作技法・構造と効果 目次

 


年代

フランス   宮廷・王政側

 

    平民(共和制)側

18世紀中期まで

宮廷は多額の借金を抱えた財政難

 ヴェルサイユ宮殿などでの豪奢な生活のツケがまわってきたわけです。ついでに、前提としてイギリスとは犬猿の仲のまま

 

国民の3/4の農業国

とはいっても英国の産業革命もまだだから、どこの国も農業国のようなものだけど

 

ルイ15世がポンパドゥール婦人(妾)を、侯爵夫人、王妃侍従、国政にまで参加させ、混乱を招く。

肖像画を見ると、確かに超美形ですね。世間的にはいろいろあったのでしょうが、文学好きだし、芸術家のパトロンの役割を果たしてます

 

 

1770

ルイ16世(同時15歳)に、オーストリアより、マリー・アントワネット(当時14歳)を迎えて結婚。ルイ16世の楽しみといえば「狩り」

まぁ、当時はありふれた政略結婚です。それにしても、その後、自分の身が危なくなっても狩りしてるし、拘束されて狩りができなくなってブーたれるほどの狩り好きでした。

 

 

 

北米での抗争で、アメリカを支援。イギリスとの戦いに勝利。

⇒更なる財政難を招いてしまう

 

 

 

 ・物価高、農民からの納税は限度となり、僧侶、貴族からも税金の徴収

 

 

1789

僧侶、貴族の反発から「三部会」による議論の要求に

 

「三部会」は平民に不利と紛糾。ついに「国民議会」に発展

 

国民議会に反対。軍隊投入をじさない構え

 

ブルジョワ中心の市民がパリ・コミューン(市政自治組織)を作り、国民軍を編成(人民武装)

 

 

 

専制政治の象徴のバスティーユ牢獄を攻撃・陥落させる。

「バスティーユ事件」

 

ルイ16世、市政改革を認めざるを得ず

 

(国民軍使用の旗が三色旗の起こり)

 

ルイ16世、「人権宣言」を認めず、王妃からの助言もあり、軍隊を召集

 

全土に農民蜂起が波及。

議会が「人権宣言」採択。 「人間は生まれながらにして自由かつ平等の権利を持つ…」

 

ルイ16世、優柔不断で、争いを好まず、お人よしの性格から軍を出さず。その優柔不断のために

民衆とともにパリに連れて行かれる。

 

市民は王をパリに連れ戻し、周りの陰謀から救おうと、ヴェルサイユに行進。食糧難も加わり、女性たちも加わる。

アントワネットが「民衆はパンを!と叫んでいるけれど、それなら…」と言ったとかいわれる有名な民衆の行進

 

しかし、王妃の願いもあり、また王家は特権階級と結びついて残るものであり、反革命勢力に頼んで逃亡。

 

逃亡途中で発見。王を連れ戻す

 

王妃、国外諸国(出身国など)に助けを求め、連携

 

王家に次第に敵意が芽生える

1791

王政崩壊

 

最初の憲法発布

⇒ただし、選挙権は一定以上の納税者に限られ、生まれながらの特権から財産による特権に

 

外国との戦争が、フランスの勝敗に関係なく以前の王政に戻す道と考える。

王妃よりオーストリアに働きかけ

 

●封建国家から中央集権国家に

カトリック教会の財産没収、国有として売り出し→土地所有の移動

 

 ルイ16世弱気で王宮脱出。

 

オーストリア軍からの開戦。

国民軍、義勇兵を募るが、フランス軍劣勢。「王室への危害が加えられたらパリ全土の完全破壊」の意がオーストリアから知らされ反発。王宮襲撃に。

 

 

 

君主権停止を議会が宣言。王家の裁判に

1793

ルイ16世、王妃アントワネットも反逆罪で処刑される。

処刑はギロチン。医師の進めによりすみやかに苦痛なく処刑できるものとして、フランスの処刑道具となる

 

オーストリア軍に勝利

 

 

 

共和制の立役者であるサン・キュロット(小ブルジョワ、勤労大衆)たちの支持を得た山岳派が政権をとる。

 

マラーの死によって、内乱激化

 

サン・キュロットより人気のあった革命家マラーが浴室で暗殺される。

 

 

 

ロスピエールが、独裁政治・恐怖政治と徳の推進で内乱を収める。「共和国の魂は徳−すなわち、祖国への愛、全ての個人的な利益を社会全体の利益のなかに解消する高潔な献身…」

同じく腹心のサンジェストは「正義によって収めることができない人々は、剣によっておさめねばならない」

1794

 

 

やましさを持つ者と恐怖制度への反発により、逮捕。二人とも処刑に。

 

カトリック勢力を取り戻す

贅沢な生活の復活

 

ブルジョワとプロレタリアとの区別が明確になっていく

1796

イタリア方面軍総司令館としてナポレオンがオーストリア軍に勝利

 

 

1798

ナポレオン軍、対英国策としてエジプト上陸

 

 

1799

ナポレオン、社会的不安の本国に戻りクーデターを起こし、成功。

第一執政誕生

 

 

1800

ナポレオン、イタリアとドイツの両国でのオーストリア軍にも勝利

 

 

 

 ●参考文献

 「世界の歴史 10 市民革命の時代」 執筆 清水博、山上正太郎、赤井彰、相田重夫/社会思想社刊 発行:教養文庫 1974

 「西洋美術館」 発行:小学館  1999

  

 


     フランスの絵画

ロココの熟成/サロンの定期的開催

⇒これにより美術批評(作品批評)的なものが、立ち上がってくる

ヴァトーが雅宴画のジャンル確立   文学的テーマはなく、貴族・資産家の日常娯楽を描く

ブーシェとフラゴナールが継承

ブーシェは、恋愛や甘美な夢想・官能シーンを描く。ポンパドゥール夫人のお気に入りの画家であり、その肖像も描く。

フラゴナールは、風景画のなかでの快楽的で健康的な貴族階級の人々を描く。モード絵画的なポジショニングを。

 

シャルダンは、日常生活道具などの静物画や、庶民の慎ましい生活風俗画を圧倒的なリアルさで描く。当時の風俗研究資料としも貴重。

 

 

 ユベール・ロベール「バスティーユ監獄の破壊」は、まさにその時の光景をその時代に描いた戦闘記録画。そびえ立つ広大な監獄の屋上には無数の人々が建物を破壊し、監獄のまわりを取り囲む人々は、中には手をかざし、歓声が聞こえてくるような絵画。黒い雲の合間から日が差し、監獄の上の人々を照らすのは、まさに民主主義の勝利のシンボル。

 

 ダヴィット「テニス・コートの誓い」は、国民議会議員たちが憲法制定までは絶対に解散はしないと誓いあったまさにその瞬間の、議員たちの高揚感、熱狂的(荒ぶる)場面を描く。未完。

ダヴィットはジャコパン党員として、革命運動に賛同。上記の絵も同志から依頼を受けたもの。

 革命に殉ずる画家となっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フランスでギロチンが描かれるのはある意味、自由の象徴であるかも。

 

 

 

ジャック・ルイ・ダヴィット「マーラーの死」は、浴室で刺殺されたマーラーの事件を、一人の英雄伝(革命に殉じた男)に昇華する力を持つ記録画に変えた。

ダヴィットは、イタリア留学歴を持ち、古典主義的でありながら、暗喩や意図を含んだ歴史画を既に数多く制作。その後、ナポレオンの魅力につかれ主席画家となる。

 

 

 

 

 

 

 

ナポレオンは、科学者、歴史学者を大勢引き連れてエジプト上陸。後のエジプト文明解明に役立っていく。

ルイ・ルジェンヌ「ピラミッドの戦い、1798年7月21日」は正確な記録としての戦争画。戦場を何の意図もなくそのまま写実した。