美術と近代社会史

 purple02_next.gifイギリス・アメリカ/18世紀中期〜末

産業革命のテイクオフ・独立宣言 ロイヤル・アカデミーとレノルズ、ゲインズボロ、ホガース

  

 

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美術と社会史 近代イギリス目次

美術家DATA 目次

美術家の言葉 目次

ism(美術運動)の証言 目次

絵画の制作技法・構造と効果 目次

 


年代

英国の社会情勢

 

米国の社会情勢

1700年前半

●経済成長の進捗はゆるやか、ほぼ平行線

生産方法…注文があれば生産。生産量も限定。

生産・経営者…機械使用などの職人は「ギルド」として組織。人数も制限・限定

買い手…王侯貴族、寺院、金持ち

農民などは、必要なものを自分で生産

⇒祖父から孫まで、ほぼ同じ環境で似た生活環境で暮らす(ひどく貧しい)

<農地第二次囲い込み>

地主は、自分の土地と他人の土地を借りてひとつとし、合理的生産を。農業労働は自分の小作人に限定されず、資金(給与)を与えれば、誰にやらせてもいいのでは、という考え。

⇒「所有と経営の分離」「伝統的な人間関係から切り離された職業選択の自由」の始まり

 

 

ヴァージニア、マサチューセッツ、ペンシルヴァ二アが三大植民地として反映

たばこのヨーロッパ輸出

交通不便により(船)、地域での物価の相違が顕著

1740年代

●綿織物の新技術・機械化

織機のスピードアップ・紡績機の発明といった産業革命技術

⇒短期間での生産量の激増が価格の安定から変動に(増産が大きな利益を生むと同時に、需要量を超えて投売りになる)

人類史上初の景気変動=資本主義経済の始まり

 

フランクリンが鉄板ストーブ発明(壁暖炉やストーブ類より熱効率高く、燃料節約に)

1754〜

アメリカへ軍隊を派遣。

 

 

植民地を巡るイギリスとフランスとの対立

イギリス軍が本国からの軍隊などで勝利・インディアン襲撃からの防衛

(1756 フランクリン、避雷針発明)

1763

パリ条約で戦争締結。

イギリス軍の勝利で米国で広大な植民地を得る。

 

 

1766

 北米の植民地エリアに、タウンゼント法発布(関税を植民地と外地に課す)

 

タウンゼント法の抗議のためイギリス品不買運動が起こる。

その後、茶以外は撤廃される

 

ストックで過剰の茶を東インド会社に独占権を与えて売らせる

 

紅茶扱い商が反発、ボストン港でイギリスの紅茶の荷揚船を襲撃(ボストン港事件)

 

北米のボストン港の閉鎖、マサチューセッツ植民地の自治取消を発す

 

独立運動へ。

独力ではイギリスに対抗できず、フランスから援助を

1776

 

 

「独立宣言」公表

「人間の基本的権利として、生命、自由、幸福の追求がある…」

1777

アメリカとの抗争(サラトガの戦い)

 

イギリスとのサラトガの戦いで勝利

1778

 

 

フランスとの同盟。後にオランダも加わる。

1783

アメリカと講和条約

 

イギリスとの講和条約により、完全たる独立国家に

1787

ジェームス・ワットの蒸気機関が実用化・販売。(馬力の概念は、機械の値段を決めるために考案された)

産業革命のテイク・オフ

 

 

 

 

 

 

 

●参考文献

 「世界の歴史 10 市民革命の時代」 執筆 清水博、山上正太郎、赤井彰、相田重夫/社会思想社刊 発行:教養文庫 1974

 「西洋美術館」 発行:小学館  1999

 

  

 


英国の絵画動向

 

 フランスのロココ美術の影響を受ける

16世紀より、イギリスでは海外画家たちの活躍が中心。

自国作家は活躍の場がほとんどなく瀕死の状態。絵画後進国。

フランスやイタリア風の古典主義、歴史画を貴族たちが愛好していたため。

 

 

 

 

 

 貴族の狩りや乗馬などの趣味を反映して、動物画が数多く制作される

 

 

 

 

 

 レノルズに対して、社交界から数多くの肖像画の依頼が殺到。

ゲインズボロも貴族階級、裕福層の肖像画を数多く制作。

 レノルズ、ゲインズボロが独自のアカデミー的動きを行う。ともに肖像画の大家として名声を得ていたが、基本的な考え方には相違があった。ゲインズボロは「肖像画は金のために、風景画は自分のために」といった考え方

ホガースは、フランス、イタリア仕込みの古典主義に反発。自国の文化に根ざした生活に絵画の発想を求める。そして風刺的風俗画のジャンルを開拓していく。

1768 ロイヤル・アカデミーの創立(初代院長:レノルズ) 

ロイヤル・アカデミーは、展覧会の組織のほか、そのコレクションで学生の多くの手本を供給した

ホガースやウィリアム・ブレイクらはロイヤル・アカデミーを批判。自国文化の絵画の意識の高まり

 国王ジョージ3世に認可された国家的機関(教育、展覧会) ⇒ 美術後進国からの脱却、絵画文化もトップを目指す

 

 

 

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