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PALB>ism(美術運動)の証言 |
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「1883年には会社を辞め、画家に転身。生活の不安定は、たちまち家族の崩壊を導いた。1886年年来、ゴーガンが制作の拠点としたのは、ブルターニュ地方のポン=タヴェンである。この地で出会ったベルナールやラヴァルとの制作から、「綜合主義」が打ち立てられた。堅固な線描と色面の組み合わせからなる作風は、明らかに印象主義からの脱却を意味するものであった」 坂上桂子 「作家解説」『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』 発行:読売新聞社 1999 p165 ゴーギャン(ゴーガン)がタヒチへ渡る前に到達したといわれる綜合主義。では綜合主義とは何か? そのために、ゴーギャンの足取りを簡単に辿っていきます。 印象派展にも出品していたゴーギャン。それがどうして、ブルターニュ地方へと向かって行ったのか? 当時、ゴーギャンは、絵画に対してどのような考え(姿勢)をとっていたのか? 《ゴーギャンの証言(1885年頃、ブルターニュ滞在以前)》 「絵画はあらゆる芸術の中でもっとも美しいものである。あらゆる感覚はその中に要約される。それを眺めればだれでも、想像力のおもむくままにロマンを作りだすことができる。(……)それは他のあらゆる芸術を要約し、完成する、完全な芸術である」 Camet de croquis, p.57 : Oviri, p.23 /本江邦夫 「序論」 『ゴーギャン展――楽園を求めて』 編集:東京国立近代美術館 発行:東京新聞 1987 p11 極めて大きなビジョンであるが故に?、わかりにくい。というよりも、抽象的な概念といってよさそうです。ここからわかることは、印象派とは異なる志向を抱いたということでしょう。自身の大きな方向性は見出したが、そこにたどり着く方策はまだわからない。 模索に模索を続ける……自身の中ではひどく、じれったい状態。それを打開すべく、ひとつの方法として自身の環境を変えてみる……そのためにブルターニュ地方(ポン=タヴェン)に向かった、とみるのが自然です。
■ブルターニュ地方へ では、当時のブルターニュ地方とはどのようなところだったのか? 何故ブルターニュなのか? その点について千足伸行氏は、ゴーギャンがブルターニュ地方へと向かった理由を、次のように指摘しています。 「ブルターニュが長らくフランスの“過疎地帯”であったとはよく言われることであるが、ブルターニュはまたその頑固な保守主義、バルザックの小説(1829)の題材にもなったフランス革命時代の反革命的王党派、いわゆる“ふくろう(みみずく)党”の牙城としても知られる。昔ながらの漁業と農業を生業とし、昔ながらの信仰に生きるブルターニュ人にとって鉄道網の整備や産業の近代化、機械化はむしろ厭うべきものであり、その時代遅れの過疎的性格、反近代主義はみずから選んだものと言えるのである。 言い換えればブルターニュは、近代化が急速に進むフランスにあって、自然、生活、習慣、信仰その他にわたっていまだプリミティヴなものが色濃く残るほとんど唯一の地方として人々の注目を集めたのである」 千足伸行 「ブルターニュの海と空:風土と芸術」 『フランス・カンペール美術館所蔵 ブルターニュの海と空』 発行:読売新聞社/美術館連絡協議会 2001 p25 《ブルターニュに滞在を始めたゴーギャンの証言》 「私はブルターニュが好きだ。ここには、荒々しいもの、原始的なものがある。私の木靴が花崗岩の大地に音をたてるとき、私は、絵画の中に探し求めている鈍い、こもった、力強いひびきを聞く」 Robert L. Herbert, PEASANTS AND “PRIMITIVISM”, South Hadley,1995 p93 / 千足伸行 「ブルターニュの海と空:風土と芸術」 『フランス・カンペール美術館所蔵 ブルターニュの海と空』 発行:読売新聞社/美術館連絡協議会 2001 p25 に所収 そして千足氏は、ブルターニュ滞在時代の作品が宗教的な主題を数多くとることも、その風土が影響を与えていると言及しています。
■もうひとつの美術様式 ゴーギャンは、ブルターニュ地方において、もうひとつのあるもの、ある美術運動(様式)を見出します。それは、ゴーギャンがゴッホに当てた手紙の中からも垣間見られます。 「私は、今ちょうどブルターニュ風の格闘を仕上げたところだ。(……中略……) 青と朱色の水泳パンツをはいた2人の少年だ。右上のもう一人は水からあがってくるところだ。 緑の芝生。日本の縮れた紙に刷った版画にあるように、自然にクローム・イエローへと変化する純粋なヴェローネーゼ・グリーン。上方には白く波立つ滝があり、額に近い緑の部分は白、ピンクそして虹色をしている。下部には白のタッチ、黒い帽子、青い上着がある」(自作《格闘する子供たち》についてゴッホに宛てた手紙) 『ゴーギャン展――楽園を求めて』 編集:東京国立近代美術館 発行:東京新聞 1987 p72 ゴーギャンが“ブルターニュ風”と評するもの(様式)。ゴーギャンがその地において見たものとは、ブルターニュ地方(ポン=タヴェン)に滞在していた画家・エミール・ベルナールとルイ・アンクタンによって創始されたといわれる「区分主義」。 区分主義(クロアゾニズム)は、ステンドグラスや浮世絵版画などから影響を受けて生まれた装飾的な様式といわれ、ある特徴を有しています(様式、美術運動なのだから当然ですが…)。その特徴については、批評家エドゥアール・デュジャルダンが次のように規定しています。 「出発点は芸術に関する象徴的な概念である。(……)画家はただ(……)能うかぎり最小限の特徴的な線と色彩のうちに、内的現実を、彼が必要とする対象の本質を固定させようとするであろう」 「画家は密接した線でデッサンし、その間にさまざまな色調を置くだろう。この並置は画家の望む統一的な色彩の感覚をあたえるにちがいなく、デッサンは色彩を、色彩はデッサンを強調するであろう。そこで、画家の仕事は七宝焼に似た仕切りによる絵のごときものとなり、その技法は一種の区分主義(クロイズニスム)から成るであろう」 本江邦夫 「序論」 『ゴーギャン展――楽園を求めて』 編集:東京国立近代美術館 発行:東京新聞 1987 p19 補足を説明を加えるとすれば、八重樫春樹氏の次の解説でしょう。 「…新印象主義に対するアンチテーゼとして提唱した。これは、ステンドグラスや七宝工芸に見られるように、要約された明確な線によって対象(あるいはモティーフ)の輪郭を描き、それによって分割された各領域をそれぞれ一定の色彩で平面的に塗り分けていくゆくものである」 八重樫春樹 「点描法とその展開」 『点描の画家たち』 監修:国立西洋美術館 発行:朝日新聞社 1985 p10 これらの規定や説明に照らし合わせて当時のゴーギャン作品を見てみれば、幾つもの共通点が見つかります。対象を黒の輪郭線で囲っていること、対比する色彩を使用した色面によって構成されていること、現実の風景にはありえない色彩を使用していること、平面的な描写……などなど。 しかし、ゴーギャンの理想(ヴィジョン)は更に高い。「あらゆる感覚はその中に要約される」べきものであるのですから。ゴーギャンはこの新しい様式の効果を用いながら、さらに他の要素も絵画の中に取りこんでいきます……
■ゴーギャンの「綜合」へ 「ただ、野外と思わせる目だましや絵やもっともらしい目だまし絵は私には面白くないので、私はこれらのわびしい姿に、私が彼等に見、また、私の中にもある野蛮を入れようとしている」(1889年、ゴッホに宛てた手紙) 『ゴーギャン展――楽園を求めて』 編集:東京国立近代美術館 発行:東京新聞 1987 p76 そして、ついにゴーギャン自身による「綜合」宣言?に到達します。 「あまり自然に即して描いてはいけない。芸術とは一つの抽象なのだ。自然を前に夢見つつ、自然から抽象を取り出したまえ(……)。ぼくの最近の仕事は順調だ。きみはそこに特別な調子を、といより以前からぼくが探究してきたことの確立、すなわち主調色にのみ注目しつつ行われる形と色彩の綜合を見出すと思う」 Merlhes 159,p.210 cf.Malingue 67,p.134 ; Rewald 1978, p.178 /本江邦夫 「序論」 『ゴーギャン展――楽園を求めて』 編集:東京国立近代美術館 発行:東京新聞 1987 p12 ゴーギャン自身が用いた「綜合」という様式。ただし、これだけでは、具体的なことがまだ見えにくい。なのにゴーギャン自身の証言はここまでです。そこで、当時の批評家アルベール・オーリエによる綜合主義の規定を紹介します。 「芸術作品は、1)<理念的(イディスト)>でなければならない。なぜなら、芸術作品の唯一の理想はイデーを表現することであるから、 またそれは、2)<象徴的>でなければならない。なぜなら作品はこのイデーを形態によって表すべきものだから、 さらに、3)<綜合的>でなければならない。なぜなら、それらの形態を、そしてそれらの記号を一般的に理解されるよいな方法で抽出しなければならないからである。 また4)<主観的>でなければならない。なぜなら、客体はそこでは決して客体と見なされるのではなく、主体によって知覚されたイデーの記号と見なされるからである。 (結果として)5)<装飾的>でなければならない。なぜなら、エジプト人、それ以上にギリシャ人や初期ルネッサンスの人々が理解したような、真の意味での装飾芸術は、主観的でもあり、綜合的でもあり、象徴主義的でもあり、そして観念的でもある芸術の表われにほかならないからである」 (‘Symbolisme en peinture : Paul Gauguin’, Mercure de France, mars 1891) 八重樫春樹 「点描法とその展開」 『点描の画家たち』 監修:国立西洋美術館 発行:朝日新聞社 1985 p11 に所収 ゴーギャンの「綜合主義」。それは、様式や主題といったものではなく、芸術に対する精神・思想としての新しい立場だったのでしょう。 この後、間もなくゴーギャンはタヒチへと旅立ちます。友人であった画家ルドンに次のような手紙を送って… 「…ブルターニュに来てから行先を変更しました。マダガスカル島はまだあまりにも文明社会に近すぎます。だから、私はタヒチに行きます。……(中略)……あなたが好んで下さる私の芸術はまだ胚芽にすぎません。私はそれを彼地で、自分自身のために、プリミティヴで野蛮な状態のまま育てあげたいのです…」 Ari Redon and R.Bacon (ed) ,Letters de Gauguin, Gide......a Odilon Redon, Paris 1960,pp.193-194 cf.Malingue, p.323 /本江邦夫 「序論」 『ゴーギャン展――楽園を求めて』 編集:東京国立近代美術館 発行:東京新聞 1987 p15
(太字は筆者、トビー高橋が独自の判断で行ったものです)
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<ポール・ゴーギャン関連の書籍>
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