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PALB> ism(美術運動)の証言 新印象主義 スーラ・調和と感情、近代色彩理論とともに |
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新印象派といえば、点描技法と補色関係を利用した色彩理論という公式?があるかために現在ではほとんど顧られることがありません。 そして、新印象派の説明でよく用いられる、当時の“最新の科学的な色彩理論”という言葉。それを読んでなんとなくはわかるようでいて、実は推測ばかりでよくわからない。でも、それについてはほとんど説明がない。 それに加え、新印象派は「印象派が感覚的に用いていた分割技法を理論的に整えた」と絵画史上的な業績を強調されるばかりで、彼らが何を考えていたのかはあまり知らされていない。まさか、画面上の色彩さえ明るくすれば良いと考えていたわけではないでしょう。 そこで今回は、これまでの当コーナーの主旨とは若干異なりますが、新印象派の画家たちが注目した“最新の科学的な色彩理論”の概略を中心に進めていきます。
■新印象主義のはじまり まずは、新印象主義の発生の歴史を簡略に見ていきます。 「新印象主義」という用語が使われだしたのは1886年の第8回印象派展から。同展は最後の印象派展であり、印象派の中心的な画家であるルノワール、ドガ、セザンヌなどが出品を辞退。それまで印象派を形成していた画家の中で唯一出品したのがカミーユ・ピサロでした。 そして、同展に出品した若手の画家に、その後、新印象派のスポークスマン的な役割を担うポール・シニャック、そしてジョルジュ・スーラが《グランド・ジャット島の日曜日の午後》を出品していました。 これらの画家の点描画法を称し、批評家フェリックス・フェネオンが「新印象主義」と呼んだのが始まりといわれます。そして、フェネオンは『ラ・ヴォーグ』誌の展評で次のように論じています。 「(印象派の)人々は、色彩の分割を以前から行っていた。しかしこの分割は、いわば勝手気ままになされていたのである。(中略) しかしジョルジュ・スーラ、カミーユおよびリュシアン・ピサロ、デュボワ=ピエ、ポール・シニャック氏たちは、色彩を意識的、科学的に分析するのだ。このような発展は、1884年、85年、86年と進められている」 (乾由明 「色彩の詩と科学」 『スーラ』 著:乾由明 発行:新潮社 昭和49 p73―74) 実際、《グランド・ジャット島の日曜日の午後》は、制作に2年間が費やされたといわれます。そして、スーラとシニャックが出会ったのが、ちょうどその2年前の1884年。スーラは同年のサロンに落選した作品《アニエールの水浴》を無審査のアンデパンダン展に出品。この作品をシニャックが見たことが契機となり、2人は知己を深めていったのです。 「……両者がお互いの経験から多大な利益を獲得し合えるということは、間もなく明らかなものとなった。シニャックは自己の直観的なコントラストについての考えを、スーラの科学的方法に改めることができたし、一方スーラの方は、この友人の説得によって、自己のパレットから天然性顔料(訳注:実際には黒や褐色系の色)を一切排除してしまったのである」 (John Rewald, Post-Impresionism, 1978, p82) ※八重樫春樹 「点描法とその展開」 『点描の画家たち』 監修:国立西洋美術館 発行:朝日新聞社 1985に所収
■色彩・ドラクロワとゲーテ 《アニエールの水浴》は、すでにスーラ独自のさまざまな技法が取り入れられています。では、その当時、急速に研究が進められたという色彩理論(スーラが読破したといわれる)とはどのようなものだったのでしょうか? (ちなみに、それ以前の色彩理論といえば、ニュートンによる光学的な研究、混色の研究があった程度です) スーラが関心を示したといわれるもののひとつに、激烈な色彩でロマン主義を切り開いたドラクロワの発想があるといわれます。ドラクロワが色彩について気付いていたこととは、 「ある日の夕暮れ、ドラクロワがルーヴル美術館を出て歩み始めると、黄金に輝く馬車が目前を過ぎた。その瞬間、彼は紫を感じた。黄と紫の対比関係を感じ取ったのである。 これはドラクロワにとって由々しいことであった。色の秘密をそこに感じた。色は単純ならず、色と色の関係が微妙な効果を生むことを覚ったのである。まさしく近代色彩論の先駆的発見であった」 (富永惣一 「燃えさかる情感」 『新潮美術文庫20 ドラクロワ』 発行:新潮社 昭和50年 p82) ドラクロワと時をほぼ同じくしてドイツでは、ニュートン以来の画期的な色彩理論が構築されます。それは、あまりにも著名な哲学者・ゲーテの『色彩論』。 ゲーテの『色彩論』は、ニュートン説に異議を唱え、明暗順応、残像や色順応、そして色の対比など広範囲に渡る視覚の特徴を解き明かしていく、まさに色彩理論への火付け役ともいえるものです。 ちなみに同書に掲載されている一例をを引用して紹介します。 「49 鮮明に色どられた紙、または絹物の一片を適度に照らされた白い板の面へともって行き、小さな有色の部分を凝視し、しばらくしてから、目を動かさないで、それを取り去ると、他の色のスペクトルが白い板の面に見られる」 「38 黒の素地の上の灰色の像は、白い素地の上にある同じ灰色の像よりも非常に明るく見える。(中略) 目に暗が示されると、それは明を要求するのであり、目に明が示されるならば、それは暗を要求するのである」 誰もが体験したことのあるような事実をひとつひとつ積み重ねることによって、色彩がどのように感覚に作用するのかを見つけ出そうとしていきます。この理論をスーラが読んだという記録は見当たりません。それなのになぜ取り上げたか? それは、スーラのひとつの志向とも似通っているからです。 「スーラは1890年に友人に宛てた手紙の中で、自己の絵画の大綱を説明しているが、そこで彼は芸術はコントラスト(対照するもの)の調和であると断言している」 八重樫春樹 「点描法とその展開」 『点描の画家たち』 監修:国立西洋美術館 発行:朝日新聞社 1985 p7
■シュヴルールの色彩理論 先に進みましょう。スーラは、初めて色の対比効果の研究を進めたフランスの科学者シュヴルールの理論にも注目していました。 「コブラン織りの染色工房での実験から導き出された『補色は並置すると強め合うが、混ぜると損ない合う』という科学者シュヴルールの理論に接したスーラは、作品に最大限の明るさをもたらすには色彩を分割しなくてはならないと考えた」 (『フランス近代絵画展 ケンブリッジ大学 フィッツウィリアム美術館所蔵』 監修:島田紀夫 カタログ・テキスト:ディヴィッド・スクレイス 翻訳:村上博哉、松本芳夫 発行:朝日新聞社 1988 p105) では、シュヴルールの理論とは? 補色? いいえ、色相だけの問題ではありません。シュヴルールの理論はそのほかの要素も取り入れて、調和のための理論を構築しているのです。シュヴルールの理論について説明している塚田敢 著『色彩の美学』から、一部を引用するとこうなります。 「シュヴルールはその色彩体系として、ブリュースターの三原色説にもとづく色図を作っている。これは円周を三等分し、三原色の赤、黄、青を配して一次色とする。つぎにそれらの中間に二次職の橙、緑、紫を配し、さらにそれぞれの中間に三次色の赤橙、橙黄、黄緑、緑青、青紫、紫赤を配し、総計12色相に分ける。 また円の中心を黒とし、円周上の純色までの間を同心円で20等分し、中心から外側に進むにしたがってしだいに黒味が減少するようにする」 (塚田敢 著『色彩の美学』 発行:紀伊国屋書店 1978 p182―183) これが基本形となります。そして、シュヴルールは、これからさまざまな調和についての説明を行っていきます。例として、ほんの一部を流用しますと、 「(3)一次色の赤、黄、青の中の一色と、その色を含む二次色を組み合わせた場合、一次色の方が二次色よりも純度が高いときはよく調和する。たとえば、一次色の赤と、赤を含む二次色の紫とを組み合わせたときに、もし赤が紫よりも純度が高ければよく調和する」 「(10)純度の高い色と暗濁色とを灰色と共に組み合わせるときの調和は、白色を用いた場合の組み合わせよりもよい配色となる。また二色の分量が大きいときには黒色と組み合わせた場合よりもさらによい結果となる」 (塚田敢 著『色彩の美学』 発行:紀伊国屋書店 1978 p183―184) どうです? 色相間の補色関係の領域をはるかに超えています。明度、純度といった現在の色彩理論の基盤となるものが出揃っているうえに、間にはさむ色との関係、色の比率における組み合わせの関係までにも言及しているのです。(もっと知りたい方は、上記の書籍を読んでください。ちなみに2003.9.19からのアンケート&プレゼントのひとつとして、上記の書籍を出します)
■シュペルヴィル、ル・ブラン、ヘルツホルムの理論 スーラ、そしてシニャックが注目していた、そのほかの理論についてもざっと紹介しましょう。 「スーラは、ウンベール・ド・シュペルヴィルの線に関する理論『芸術における無条件な記号についての考察』に従って、三つの線の理論を実際の作品に応用している。それによれば線には三種類あって、両端が上向きの陽気な線、水平の無気力な線、両端が下に向いた悲しい線である」 『点描の画家たち』 監修:国立西洋美術館 作品解説 発行:朝日新聞社 1985 p37 「暗い色調、寒色、下降する線は悲しみや絶望を暗示し、明るい色調、暖色、上昇する線は歓びや興奮を暗示する」 ※八重樫春樹 「点描法とその展開」 『点描の画家たち』 監修:国立西洋美術館 発行:朝日新聞社 1985 p8 ル・ブランの理論の中で特徴的なものとしてとりあげられていることは、「色班を並置することによって、鑑賞者の眼に映る色彩は、パレットの上で色を混ぜる伝統的な方法によった場合よりも、純粋で鮮やかなものになる」 (『フランス近代絵画展 ケンブリッジ大学 フィッツウィリアム美術館所蔵』 監修:島田紀夫 カタログ・テキスト:ディヴィッド・スクレイス 翻訳:村上博哉、松本芳夫 発行:朝日新聞社 1988 p105) シニャックが注目していたといわれるドイツの物理学者、生理学者であり『光学と絵画』を著したヘルツ・ホルムの理論とは、イギリスのトーマス・ヤングが提案し、それをホルツが体系づけたといわれるもので、私たちがどうして色を感じるかを説明する説であり、赤、緑、菫(スミレ)の三色説をとる。 「ヤングの説は、ニュートンのように、われわれの感覚は、外界における光や音の性質がそのまま脳に伝わって生じたものとは考えなかった。そして外界から来る光は、それぞれの神経を興奮させる引き金にすぎないと仮定している。その引き金によって、外界の光とはまったく性質の異なる神経興奮が生じると考えた」 (大山正 『色彩心理学入門』 発行:中公新書 1994 p56) 「ヘルツホルムは『視覚論』の第二巻で色覚論を展開しているが、それはほとんどヤング説の紹介の形をとっている。ただ、ヤングと違う点は、粒子とか共振といった概念は用いないで、(中略)興奮特性を示す三種の神経線維を仮定していた点である。 (中略)ここで注目すべきことは、ヘルムホルツが仮定した三種の神経線維の特性曲線のピークが三原色と考えられていた赤(R)、緑(G)、菫(V)の位置ではなく、むしろ橙(O)、緑(G)、青(B)の位置にあることである。 (中略)したがって橙や青の光は明るく感じられるが色調は混合したものになり、純粋でない。ところが、赤と菫の光は、橙と青の光にくらべると興奮の強さは小さいが、もっぱら、それぞれ第1と第3の神経線維だけを興奮させる。したがって赤と菫の光の明るさは橙と青に劣るが、純粋な色調になる…」 (大山正 『色彩心理学入門』 発行:中公新書 1994 p62―63) さて、これらの様々な理論を融合、もしくはここから何を導きだしますか?
■新印象主義が求めたていたもの… 少し頭がクラクラしてきたので、ここらで新印象派の画家たちは、こうした理論を横目で睨みながら、何を求めていたのかを探りましょう。 スーラやシニャックと親交を深め、色彩分割を進めたシャルル・アングランは、次のようにいっています。 「僕たちを麻痺させているのは自然の研究だ。犬を描くとき驢馬と似せないで描くことくらい、よくわかっている……残りの部分、線と色彩の配分こそが、ぼくたちの関心事であるべきだ」 『点描の画家たち』 監修:国立西洋美術館 作品解説 発行:朝日新聞社 1985 p20 シニャックも似たようなことを言っています。 「画家が真っさらのカンヴァスの前に立って最初に思いを致すのは、どのような曲線とかアラベスクによって画面を裁断すべきか、どのような色彩と色調でそれを覆うべきなのかの決断であろう」 ポール・シニャック 論文「ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで」1899 /※八重樫春樹 「点描法とその展開」 『点描の画家たち』 監修:国立西洋美術館 発行:朝日新聞社 1985 p6) また、スーラは新印象主義の技法を編み出した根底にあるものを推測させる次のようなことを語っています。 「アトリエの光を眼から洗い落し、いきいきした戸外の明るさを、あらゆるニュアンスにいたるまで正確にうつしとる」 ((乾由明 「色彩の詩と科学」 『スーラ』 著:乾由明 発行:新潮社 昭和49 p84) 「芸術は調和だ。色調は明暗の移り変わり、色合いとは色そのもの、線とは水平を基準としたときの方向性だ。これらがさまざまに調和して感情が生まれる」 (『スーラ』 解説:ピエール・クルティオン 訳:池上忠治 発行:美術出版社 1969 p15 /『巨匠に教わる絵画の見方』 著:視覚デザイン研究所・編集室 発行:視覚デザイン研究所 1996 p96に所収) 印象派から生まれた? としても、印象派からは遥か遠くに離れた抽象表現に(その言葉は後のカンディンスキーやクレーに通じる)まで踏み込もうとしているかのようです。しかし、新印象主義は、その前の段階で踏みとどまった? 彼らが当初目指していたものに到達したからでしょう。 スーラの友人でもあった批評家のフェリックス・フェネオンは、「シャルル・アンリの『科学的美学』を評してこう結論づけている。『科学が今日まで否定してきた、諸感覚の調和の間にある関連を、我々はついに証明した』 (フランソワーズ・カシャン 「19世紀末における新印象主義の局面」 『点描の画家たち』 監修:国立西洋美術館 作品解説 発行:朝日新聞社 1985 p151) シニャックによれば、 「新印象派の人々によって分割の原理は詩人にとってのリズムほど拘束的なものではなかった。それはインスピレーションを損なうどころか、作品に重々しく詩的な様子を与えたのである」(W―9) (フランソワーズ・カシャン 「19世紀末における新印象主義の局面」 『点描の画家たち』 監修:国立西洋美術館 作品解説 発行:朝日新聞社 1985 p151) シニャックのいう“詩的”、スーラのいう“調和による感情”……。 独断になるでしょうが、私は、ひとつの結論に達します。それは古くから現在まで使われている原則。 硬直した関係を破壊、組み替えすることによって新しい意味を創り出すという詩的手法。彼らは、最新の色彩理論という道具を利用することによって、それまでの“絵画と色彩・タッチの関係”を破壊して、詩的創造に到達しようとしたのだと…。 しかし、スーラの死後、本流のフランス新印象主義の画家たちは自らが編み出した新しい技法の形式に埋没し、詩的創造から色彩の心地良さ、という感覚の分野に戻っていってしまった…のではないでしょうか。
(太字は、筆者の私、トビー高橋が独自の判断で行ったものです)
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<新印象派関連書籍>
(表紙装丁を図版の代わり?ということで) <スーラ関連の書籍>
<シニャック関連の書籍>
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