PALB> ism(美術運動)の証言 red05_next.gif イタリア未来派宣言/未来派の旗印のもとに


  

  

トップページ

美術家DATA 未来派 目次

ism(美術運動)の証言 目次

美術家の言葉 目次

制作技法・手法と効果 目次

 

 未来派の運動は、作家F・T マリネッティが1909年に発表した「未来派第一宣言」を読んだ美術家たちが、マリネッティの呼びかけに呼応する形で始められたものです。

 著名な「未来派宣言」ではありますが、よく引き合いに出され紹介されるのは、その中のほんの1〜2行。しかし、この宣言は、未来派運動の思想の根幹ともなるものですし、また何が美術家たちを走らせたのかを、今の私たちが感じ考えるためにも、少し長くなりますが、その宣言の全容ともいうべきものを引用します。

 

 ■未来派第一宣言

 金属や廃液、神々しい煤など工場の廃棄物に顔は汚れ、傷つき、腕には包帯を巻き、しかし何事にもひるむことなく、地上に生きるすべての人々に向かい、われわれの意図の根本をここに宣言する。

 1.危険を愛し、つねに活力に満ち、大胆不敵であること。われわれはそうした姿勢をたたえたいと思う

 2.われわれの詩の本質は勇気と勇敢さ、そして反抗にある。

 3.昨日までの文学は思慮深き不動性、喜悦、そしてまどろみを賛美してきた。われわれは積極的な動き、熱に浮かされた不眠症、疾走、危険な跳躍、平手打ち、拳固をおおいに賞賛するつもりだ。

 4.この世界のすばらしさは新たな美、つまりスピードという美によっていっそう豊かになった。排気ガスを噴射する蛇のようなパイプに飾られた競争車、火薬の上を疾駆するように見える競争車は「サモトラケの勝利の女神」像の美に優る

 5.われわれは弾み車を握る人間に賛歌を捧げる。その理想的な方向舵は、自らを駆り立てるように軌道上を旋廻する地球を横断する

 6.詩人は根源的な原理の熱情をさらに燃え立たせるために、暖かさと輝きをもち、そして惜しみなく力をつくさなければならない

 7.戦いの中以外には美は存在しない。攻撃性を欠いた傑作はありえない。詩は未知の力を人間の足元にひきずりだすための暴力的な戦いでなければならない

 8.われわれは時代の崖っぷちに立たされている! 不可能性の神秘の扉を打ち壊さなければならないのに、なぜ過去をふりかえるのか? 「時間」も「空間」もともに昨日死滅した。われわれはすでに偏在する永遠のスピードを創造してしまったがゆえに、「絶対」を生きているのである。

 9.われわれは戦争を賛美する。世界に真の衛生をもたらす唯一の手段が戦争である。軍国主義、愛国主義、アナーキストの破壊活動、人殺しという美しい思想、そして女性に対する侮蔑をわれわれは賛美する。

 10.われわれは美術館、図書館を破壊し、道徳的実践やフェミニズム、すべての功利主義的臆病風に対して闘いを挑む

 11.われわれは労働、快楽、反抗に心躍らせて、壮大なミサ曲を歌うだろう。現代都市にわれわれは満艦飾の対位法的な革命を津波のようにひきおこすだろう。武器庫や埠頭はギラギラと輝く電灯という月の下で夜通し振動を続け、貪欲な駅は煙を吐く蛇を貪り食い、工場は排煙という糸によって雲から垂れ下がり、橋は陽当たりの良い河を飛越する巨大な運動選手のように悪魔のナイフのごとくきらめき、冒険好きの蒸気船は水平線の香りに導かれ、鳩胸の蒸気機関車は長いチューブのくつわを嵌め、そして旗のように翻るプロペラと熱狂的な群衆の拍手に送られて飛行機は滑らかに空を行く。

 歴史を覆し、伝統に火をかけるであろうこの宣言により、われわれは今日「未来派」をここイタリアに結成する。われわれはイタリアを無数の墓地によっておおいつくす幾多の博物館、美術館から解放するであろう。

 博物館、墓地! ……互いになんの関わりもない展示物が数限りなく並ぶ不気味なでたらめさかげんはまったくこの両者に共通するものだ。誰もが利用できる共同寝室で、人は憎しみを抱く相手、あるいはまったく面識もない相手の傍らで永遠の眠りにつく。同じひとつの美術館の中で画家や彫刻家たちは形や色を武器に互いに相手を抹殺しようと凶暴性を剥き出しにする」

 ※『抽象美術入門』 著:フランク・ウットフォード 訳:木下哲夫 発行:美術出版社 1991

  以上です

 ある部分で極右的であったり、過剰な過激さも内包しています。少し弁護?するとすれば、それはマリネッティが、より強烈で鮮烈な印象を与えるために(伝統に挑戦するために)、故意に挑発的な文言を選択したためでしょう。これはあくまでも“宣言”ですので、まわりくどい説明ではなく、あくまでも簡潔で明快な言葉、論旨が必要となりますから。また、メッセージというものは過剰さを含んでいないと、伝わりにくいということもあります。

 峯村敏明氏は、この宣言について次のように語っています。「マリネッティの巧さは、イタリア復興運動の核心を、『過去主義』の克服という許容性のある論点の上に立てたことである」 峯村敏明 「過去になった未来派の現在」 『美術手帖 1975年3月号 特集 未来派――:現代芸術への道標』 発行:美術出版社 p44

 この宣言に触発され、フランスなどと比較して当時後塵をはいしつづけざるをえなかった状況のイタリアで、血気盛んな美術家たちは未来派の旗印のもとに集い、翌年に独自の宣言を声明します。それが以下の「未来派絵画宣言」です。

 

 ■未来派絵画宣言

 空間はすでに存在しない。雨に濡れた街路の舗道は電灯の眩しい光に照らされて、おそらく深く、ついには地球の中心にまで達する亀裂となる。太陽との間には何千マイルの距離がある。しかしわれわれの眼の前にある家は太陽の光輪とピタリとはまる。

 肉体を透視できないといまだに信ずる者がどこにあろう! われわれの感知力はそれだけ鋭さを増し多様化し、肉体というメディアの発するあいまいな兆候の奥深く浸透している。創造活動をおこなうにあたって、われわれの視力は増強されレントゲン写真にも匹敵する能力を得ていることを忘れてはならない。

 われわれの議論の正当性を証明するためには、幾千の中からほんのニ、三の例を挙げれば済むだろう。

 疾駆するバスに16人の客と乗り合わせたとしよう。この16人は順次、あるいは同時に1人、10人、4人、3人となる。微動だにしないのに、かれらは位置を変える。乗車する者、降車する者、舗道に降り立つや突如として陽光に呑み込まれる者、それがふただびバスに乗り込み、きみの前の席に着く。まるで宇宙の鼓動をたえまなく象徴するようだ。

 対話をする相手の頬に、街角を走り抜けてゆく馬の姿を見ることも珍しくない。

 ソファに腰をかければ、われわれの身体はソファに浸透し、ソファはわれわれに浸透する。バスは通過する家々の中に走りこみ、また家々はバスの上に身を投げかけて、バスと混じりあう。

 絵画の構成はこれまで愚かな伝統にしばられてきた。画家はわれわれの目の前に、オブジェと人物を並べて見せるのが常だった。われわれは今後、鑑賞者を絵の中心に置くことにする。

 人の心の内にあるさまざまな領域のすべてにおいて明確な見通しをもつ個人による探究が定説とされてきた不変の闇を吹き払ったように、あらゆるものに精気を呼び覚ます科学の発展は、絵画をも月並みな伝統からまもなく解放することだろう。

 われわれはなんとしてもふたたび人生に戻らなければならない。勝ち誇る科学はわれわれの時代の物質的な要求によりよく応えるために過去を捨て去った。芸術も過去を切り捨て、ついにわれわれの内にある知的な要求に応えられるようになるだろう」

 「キャンヴァスの上にわれわれが創り出す身振りは、もはや万有のダイナミズムの“瞬間”を切りとったものではなく、それは明快にダイナミックな気分そのものなのだ」 セルジュ・フォーシュロー 「メディアの献立」『美術手帖 1986年12月号 特集 [未来派] 疾走のアヴァンギャルド』 発行:美術出版社 p87

  

 未来派のメンバーはこのほかにも多々の宣言を行います。未来派は、こうした確たる理念があったからこそ、それを具現化する様式を生み出し得たといえるでしょう。しかし、皮肉なことに、彼らが想像していた以上の、次元が全く異なる世界大戦のために、理念も人も散っていってしまったのです。