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PALB> ism(美術運動)の証言 |
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色彩をフォルムから解放した美術運動のフォーヴィスム。では、どうしてそのような運動が起こったのでしょうか? 美術運動として、ほんの一時期のことだったとはいえ、同一の方向性へ画家たちが“はじけて”いった以上、そこには共通認識があったはずです。ここでは、この偉大な事件の動機?を当時の創始者たちの言葉から極めて簡潔に検証します。
■激情家・ヴラマンクの証言 「二人がめいめいにイーゼルを立てる。ドランはシャトゥー、橋、鐘塔といったモチーフに向かい、私はちょっと離れてポプラに惹きつけられている。もちろん私が先に終えた。 私はドランの作品を見た。堅固で、知的で、力強く、すでにドランだった。『君はどうなんだい?』と私に言う。私の手の先で回っているキャンヴァスをドランは見て、しばらく沈黙し、うなずいた後、こうつぶやく。『美しい』。それがフォーヴィズム運動全体の始まりだった」 色彩の乱舞で構成された作品を「美しい」と感じる人が自分以外にもいる、という感慨。そして勇気が湧いてきたというエピソードですね。 「フォービスムとは何か? それは私だ……。私の反抗の方法であり、同時に私自身を解放する方法であり、流派と教義にとらわれることを拒絶する私の方法だ。私の青、私の赤、私の黄色、混じりけのない私の純粋な色彩。私は疑いなくドランに幾分悪影響を与えた」(Jean Leymarie,Le Fauvisme,Geneva,1987, p.29) 以上、※「ロー・コレクション 西洋絵画500年の巨匠たち展」 監修:マルク・レステリーニ、千足伸行 発行:アート・ライフ 1999 p244 「私は自分のコバルトとヴァーミリオンで国立美術学校を焼き尽くしたいと思っていた。私より前に描かれた絵画のすべてに構うことなく、私自身の感覚を表現したかったのだ」 (Florent Fels,Vlaminck,Paris,Marcel Seheur,1928,p.39) 『パリ近代美術館展』 シュザンヌ・パジェ 「ピカソとフォーヴ:20世紀初頭におけるモダニスムの諸相」 発行:アート・ライフ 1999 p29 フォーヴ創始者として、作品の画面の強さそのものも現しているような発言です。しかし、ちょっと感情的な発言で、わかりにくいところがありますね。 では、理性的?なマティスはどのように語っているのでしょうか。
■探究家・マティスの証言 「印象派のデリケートな芸術に対する反抗であった。それは“単なる魅力”に対する、偶然的な光の効果に対する反抗であり、単純さ、率直さ、純粋色、装飾性への回帰であった」 Whitfield,op.cit,.p192「パリ近代美術館展」 千足伸行 「現代美術の青春:フォーヴィスムからキュービスムへ」 発行:アート・ライフ 1999 p20 「色彩の分割(いわゆる点描の技法)は形態の、輪郭線の分割につながった。その結果生まれるのはそわそわと落ち着きのない画面である。そこにあるのは網膜の刺激だけである。(………)ものはただ、それらに与えられた明るさによって区別されるだけである。(………)フォーヴィスムは分割主義(新印象派)の横暴を打破した。あまりにもきちんと整理整頓された家は住みにくいものである」 (Henri Matisse : FARBE UND GLEICHNIS,GESAMMELTE TE SCHRIFTEN,Frankfurt am Main,1960,p.43「パリ近代美術館展」 千足伸行 「現代美術の青春:フォーヴィスムからキュービスムへ」 発行:アート・ライフ 1999 p25 おやおや、ヴラマンクとかなり似た発言内容です…。しかも、マティスは新印象派的領域も標榜した経験があるだけに説得力があります。しかも、私にもわかりやすい。 「どの世代も、前の世代の生み出したものを別の角度から見るものです。純色によって構成されている印象派の絵から、次の世代はこういうことを学びました。すなわち、これらの色彩は自然物や自然現象を説明するのに役立っているが、その色彩自体のなかにも、表現しようとしている対象とは別の、見る人の感情に強く働きかける何かがあるということです」(レイモン・エスコリエ 『マティス、この生ける者』 パリ、アルテーム・ファイヤール刊,1956) 『マティス 色彩の交響楽』 著:グザヴィエ・ジラール 監修:高階秀爾 発行:創元社 1995,p140 「表現の手段がきわめて洗練され矮小化されるうちに、その表現力が枯渇してしまったので、人間の言語を形成する基本原則に立ち返ることが必要になった。つまり“よみがえる”原理、活力を取り戻し、我々に生命を与える原理を……。フォーヴィスムの出発点、それは手段の純粋さを再発見する勇気だ」 (Henri Matisse,Ecrits et propos sur l'art,collection savoir,Herman,1972,p.128 シュザンヌ・パジェ 「ピカソとフォーヴ:20世紀初頭におけるモダニスムの諸相」 『パリ近代美術館展』 発行:アート・ライフ 1999 p29
彩色の技法面からみれば、「印象派」⇒「新印象派」⇒「フォーヴィスム」という流れは非常にわかりやすいのですが、思考や考え方は、反目し隔絶していたわけですね。きっと技法面だけを追いかけていたのでは、新印象派の枠組みからフォーヴにはたどりつけなかったのでしょう。そこにはなかなか誰もが立ち入れない高い壁があった。それを思考によって大きな跳躍したことによってフォーヴが生まれた。 あるものが発展することによって従来の形態との間に矛盾などが生じ、その反作用が働くことによって新しいものが生まれる。マルクスの唯物史観そのもののような展開です。 しかし、その前フリとして、反作用の力の先端をいったものとしてはずせないのが、1901年フランスのベルネーム・ジュヌ画廊で開催され、爆発的な人気を呼んだゴッホの大回顧展です。そして、ゴッホの回顧展はフランスからドイツに飛び、そこでもドイツ表現主義運動に影響を及ぼしていくのです…。
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