ism(美術運動)の証言  red05_next.gif キュビスム/ピカソとブラック・キュビスムが目指したもの


  

  

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 20世紀の美術を語る上で避けては通れないといわれるキュピスム。キュビスムをどのように考えますか? よくわからない? それはそれで結構です。ピカソ自身も、キュビスムについてわからないと言う人々に対して非常に寛大でした。しかし、間違っても“実験”などと考えてはいけません。キュビスムを“実験”と評する人たちを、ピカソはキュビスムをまるで理解していないと酷評します。

 では、一体キュビスムとは何だったのか? それを知るために、キュビスムの時代に“会話”をするように、また精神的“結婚”をしたかのように互いの行動を理解し、影響を与え合えながら制作したといわれるピカソとブラックの証言を見ていくことにします。

 その前に、ちょっとだけ、キュビスムの歴史を振り返ります。キュビスムの根源的な出発点は、ピカソが《アヴィニオンの娘たち》が描いたときから始まったと言われます。では、公的な起源は?

  「(レスタック連作など)これらのブラックの作品が同年のサロン・ドートンで拒否された後、11月にカーンワイラー画廊で展示され、いわば公的宣言となったのは事実である」 ※神吉敬三 「理知と情念の所産」 『ピカソ全集 3 キュビスムの時代』 編著者:神吉敬三 発行:講談社 1982 p101

 そして、このカーン・ワイラー画廊でのブラック展(1908年)のカタログの序文にルイ・ヴォークセルが寄稿したもののなかに、「キュビスム」の語源があるとされています。

 「彼はひどく単純化され、デフォルメされた、メテリックな人間を構成する。彼は形態を軽蔑し、場所も人物も建物も、何もかも幾何学的な図式に、キューブに還元している」 (Edward Fry: CUBISM, New York and Toronto, 1978, p.50 日本語版:八重樫春樹訳、美術出版社,1977) ※「パリ近代美術館展」 千足伸行 「現代美術の青春:フォーヴィスムからキュービスムへ」 発行:アート・ライフ 1999 p23

  なかには、次のような証言(詩人で美術評論も行ったアポリネール)もありますが…

 「新しい絵画の流派はキュービスムという名称をもっている。これは1908年の秋、いくつかの建物が描いてある1枚の絵を見たアンリ・マティスが、キューブ(立方体)でてきたその画面に強く印象づけられて、冗談まじりにつけたものだ」 (『アポリネール全集』 訳:鈴木信太郎、渡邊一民他 発行:紀伊国屋書店 1969 p.148)

  さてさて、先を急ぎましょう。その後のキュビスムの展開はだいだい次のようなもの。

 「1911年4月のアンデパンダン展はキュビスト宣言と共に開会されたし、同年10月のサロン・ドートンヌもキュビスム部門を設ける一方、ピカソとブラックの海外展を通じ、国際的な運動に成長していったのである」 ※ 神吉敬三 「理知と情念の所産」 『ピカソ全集 3 キュビスムの時代』 編著者:神吉敬三 発行:講談社 1982 p110

 さて、ここからが本題。キュビスムの張本人・ピカソとブラックの証言を拾っていきます。

キュビスムとは何か?

  ブラックの証言

 「君はキュビズムについて質問するが、キュビズム基本的には印象派、とくにモネに対する反動であったことを忘れてはならない。なぜなら、印象派が大気と光という尺度によって、自然を表現するのに専念していたのに反して――実際彼らはいたるところに少しずつ空を撒き散らしたものだ――われわれは、彼らが等閑に付していた空間を表現しようと努めていた。にもかかわらず、私は、芸術同様、人生の革新者として、モネは非常に重要だと思う。戸外の愉悦を世界に示したのは、結局モネだった」 「現代世界美術全集15 <愛蔵普及版> ブラック/レジェ」 編集:後藤茂樹 発行:集英社 1972

 「キュビズムの起源ですか。それについて私自身が、それほど多くの発見をしたわけではありません。それは、パピエ・コレが形態の外側に色彩を導き入れることであったように、一途に空間を追求することだったのです。 現実の抽象としての空間は、普通、二次的に還元されます。深さのなかでその空間を動かすのは、非常に難しいことです」 1954年『画家は語る』 「BRAQUE」 解説:Raymond Cogniat 訳 山梨俊夫 1980 発行:美術出版社

 プラックの発言に対して、ピカソはよりわかりやすい補足的な説明をしてくれています。

 ピカソの証言

 「キュビスムは、絵画の境界内と限界内にとどまり続けてきたし、それを越えて行こうと試みたことなどまったくないのである。キュビスムでは、線と構図と色を、他の画派が理解し使用するのとまったく同じ精神と方法によって用いている。ただ、われわれの主題は違っているかもしれない。それはわれわれが、今までまったく知られていなかった対象(オブジェ)とフォルムを絵画に導入したからである。われわれは、われわれを取り巻くものに対して、両眼と精神を開いたのである。

 われわれはフォルムと色に、われわれの眼がとらえることのできる個別的な意味のすべてを与えている。われわれは、われわれの主題の中に発見することの楽しみ、予期せぬものとの出会いが与える喜びを維持し続けている。われわれの主題は、それ自体が興味の泉なのである。しかし、われわれがやっていることを、何のために口に出して言う必要があろうか。それを知るには、ただそれを見たいと思うだけで充分だからである」 Marius de Zayas,Picasso speaks,The Arts,May ,1923,New York,pp.315-326 ※※ 「証言:ピカソ」 訳:神吉敬三、馬渕明子 『ピカソ全集 3 キュビスムの時代』 編著者:神吉敬三 発行:講談社 1982 p128

 

キュビスムが目指したもの、そして終焉

 ブラックの証言

  「当時、私たちには、個人的な表現様式というものを軽蔑し、それを消し去ってまったくの無名性にいたりたいという断固とした意志があった。私たちの眼には無名性こそが本当に偉大なものとうつっていたんだ。だからピカソと私は、ほとんど同一の絵をつくっていた。少なくとも一見したところではね、鑑定家にはわかってしまうんだから。自分でも知らぬ間に、それぞれの個性がカンヴァスに浮かび上がってくるらしい。私の方がより感覚的で、ピカソの方はより構成的、建築的なんだ。この種の無個性を示すために、私たちは1909年から1914年にかけて、カンヴァスにも、デッサンにさえ、サインをしなかった。裏側かフレームにしただけだ。自分たちは作者じゃないみたいにね。そのころは、正しいかどうかは別にして、そうしたことが自発的な創造行為だと思っていた」 ※『わが生涯の芸術家たち』 著:ブラッサイ 翻訳:岩佐鉄男 発行:リブロポート 1987 ,「ジョルジュ・ブラック」 p27

 「その当時ピカソといっしょに、誰も話し合わないだろうこと、誰も話し合うことのできないこと、誰ももう理解できないだろうこと、(中略)理解不可能なこと、しかしあれほどの喜びを私たちに与えてくれたことを話し合ったものだよ。でもそれは私たちだけで終わってしまうのだろうね」  Dora Vallier によるブラックのインタヴュー Cahiers d'Art,n.1,1954  ※ フランソワーズ・カシャン「キュビスムの英雄時代」訳:馬渕明子 『ピカソ全集 3 キュビスムの時代』 編著者:神吉敬三 発行:講談社 1982 p119

 ピカソの証言

 「人々は、われわれがあのキュビスムの時代に、なぜ多くの作品に署名をしなかったのかをよく理解していない。署名がある作品のほとんどは、何年か後に署名したものである。実は、われわれは誘惑に陥り、アノ二ムな芸術、その表現においてではないが出発点においてアノニムな芸術への希望を抱いたのである。われわれは、異なった個性を持つ人々によって表現されねばならない一つの新しい秩序を作ろうと試みていた。誰にも、この作品、あの作品を描いたのが誰であり彼であるということを知る必要はなかった。しかし個人主義はすでに余りにも強く、この試みは失敗に終わった。 (中略)

 一時期、われわれはキュビストであったが、その時期を過ぎるや否や、われわれはキュビストであるよりも、われわれ自身に奉仕している個々人であることを発見したのである。われわれが集団による冒険が失敗したことを悟ったとき、各自は個人的な冒険を見つけ出さなければならなかった」  Francoise Gilot and Carton Lake,Life with Picasso,McGraw-Hill,Inc.,1964,Avon Books,1981,pp.51-72 ※ 「証言:ピカソ」 訳:神吉敬三、馬渕明子 『ピカソ全集 3 キュビスムの時代』 編著者:神吉敬三 発行:講談社 1982 p130―131

 

  キュピスムの集団による冒険は失敗したとしても、その冒険による作品群は、90年以上たった今でも、私にとってはとても刺激的です。そこから、まだ新しい視点を発見できるのではないでしょうか。

 キュビスムは確かに絵画を難解にしたかもしれません。しかし、作品から得られる喜びの幅を広げ、絵画を芸術に押し上げたのもキュピスムだと思うのです…。

 

  (太字は、筆者の私、トビー高橋が独自の判断で行ったものです)

 


 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

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 (表紙装丁を図版の代わり?ということで)